はじめに
研修が形骸化するのは、「形」だけを真似て「理念」を欠いているから。20年の実践から辿り着いた「哲学五箇条」は、研修の背後にある不変の原則である。
災害対応力向上研修は、なぜ形骸化するのか?
「やらされ感」「机上の空論」「現場で使えない」——これらの批判は、なぜ繰り返されるのか?
それは、研修の「形」だけを真似て、「理念」を欠いているからだ。
東京医療減災Laboは、2004年から20年以上、医療機関の災害対応力向上研修を実践してきた。その過程で、「なぜこの研修は効果があるのか」「なぜ参加者は主体的に学ぶのか」という問いに向き合い続けた。
そして、辿り着いた答えが、この「哲学五箇条」である。
これは、単なる「研修テクニック」の羅列ではない。
研修の背後にある、不変の原則——「Why」である。
研修の「形」は変わっても、この「理念」は変わらない。
第一条
すべての反応に、
価値がある
なぜか
人は、それぞれ異なる背景、経験、価値観を持っている。
だから、同じ災害シナリオを見ても、「怖い」と感じる人もいれば、「対処できそう」と思う人もいる。
「備えが足りない」と焦る人もいれば、「今のままで大丈夫」と安心する人もいる。
どの反応も、「間違い」ではない。
すべて、その人の「今の状態」を映す、正直な鏡だ。
研修の役割は、「正解」を押し付けることではない。
多様な反応を引き出し、それぞれの価値を認め、互いに学び合う場を作ることだ。
なぜなら、災害対応に「唯一の正解」は存在しないからだ。
施設ごと、部署ごと、役職ごとに、最適解は異なる。
だから、「あなたはどう思いますか?」と問い、
「なるほど、そういう見方もあるんですね」と受け止める。
これが、学びの第一歩だ。
次の研修設計で、
こう自問しよう:
「この研修は、多様な反応を
引き出せる設計になっているか?」
第二条
知っていることと、
できることは違う
なぜか
座学で「緊急時の行動手順」を学んでも、実際の混乱の中で体が動くとは限らない。
「トリアージの原則」を暗記しても、目の前で苦しむ患者を前に、冷静に判断できるとは限らない。
人は、「頭で理解したこと」を、「体で実行できる」わけではない。
だから、体験が必要だ。
シミュレーション、ロールプレイ、図上演習——
「もし今、災害が起きたら」という疑似体験を通じて、初めて「できる」に近づく。
体験の中で、迷い、失敗し、修正する。
この試行錯誤こそが、本当の学びだ。
研修で失敗することは、恥ではない。
むしろ、本番で失敗しないための、最高の学びだ。
だから、研修は「知識の伝達」だけでなく、「体験の場」でなければならない。
次の研修企画で、
こう設計しよう:
「参加者が手を動かし、
声を出し、判断する場面を
どれだけ作れるか?」
第三条
現場で使えなければ、
意味がない
なぜか
研修で学んだことが、職場に戻った瞬間に「使えない」と感じられたら、それは研修の失敗だ。
「うちの施設では無理」
「理想論すぎる」
「人手が足りないから実践できない」
こうした言葉が出る研修は、現場との距離が遠すぎる。
だから、研修は「理想」を語るだけでなく、「現実」から出発しなければならない。
あなたの施設の構造は? スタッフの人数は? 備蓄の状況は?
この「現実」を前提に、「明日からできること」を一緒に考える。
完璧を目指さない。
「6割できたら、まず使ってみる」。
これが、現場に根付く研修の条件だ。
次の研修で、
こう問いかけよう:
「あなたの施設で、
明日からできることは何ですか?」
第四条
一人の天才より、
チームの凡人
なぜか
災害対応を「できる人」に依存する組織は、脆い。
その人が被災したら? 休暇中だったら? 退職したら?
属人化は、組織を弱くする。
災害対応は、個人の力量ではなく、チーム全体の協働で実現される。
一人の英雄的判断ではなく、複数の普通の人が、役割を分担し、情報を共有し、互いを補完することで成り立つ。
研修もまた、協働の場だ。
ファシリテーターも参加者も、全員が教え合い、学び合う。
「教える→教わる」の固定された関係ではなく、双方向の知恵の交換。
次の研修設計で、
こう考えよう:
「ファシリテーターがいなくても、
参加者同士で学べるか?」
第五条
研修は、
終わりではなく、
始まりである
なぜか
2日間の研修で、災害対応力は身につかない。
研修で得た気づきを、日常業務の中で試し、失敗し、改善し、習慣化する——このプロセスに、3ヶ月から1年かかる。
研修で「わかった」人が、現場で「できる」ようになるには、継続的な支援が必要だ。
研修を「イベント」として終わらせる組織は、成長しない。
なぜなら、人は忘れる生き物だからだ。
研修で学んだことの80%は、3週間後には忘れられる。
だから、フォローアップが必要だ。
3ヶ月後に「あれから何をやりましたか?」と問う。
半年後に「どんな失敗をしましたか?」と聴く。
1年後に「あなたの施設は、どう変わりましたか?」と確認する。
次の研修計画に、
こう加えよう:
「3ヶ月後、半年後、1年後の
フォローアップ日程」
五箇条の関係性
五箇条は、単独では機能しない。
全てが揃って、初めて災害対応力向上研修となる。
第一条【多様性尊重】
前提: 人は違う
↓
第二条【体験重視】
方法: 体で学ぶ
↓
第三条【現場適用】
基準: 使えるか
↓
第四条【協働創造】
主体: チームで
↓
第五条【継続成長】
時間: 終わらない
これらは、研修の「理念」であり、
すべての研修設計の根底にある原則である。
おわりに
この哲学五箇条は、20年以上の実践から生まれた。
最初から、これらの原則が明確だったわけではない。
無数の試行錯誤、失敗、改善を経て、ようやく言語化できた。
研修の「形」は、時代とともに変わる。
しかし、この「理念」は変わらない。
あなたが研修を企画するとき、この五箇条を思い出してほしい。
すべての反応に価値がある。
知っていることと、できることは違う。
現場で使えなければ、意味がない。
一人の天才より、チームの凡人。
研修は、終わりではなく、始まりである。
これが、災害対応力向上研修の本質だ。
関連資料
災害対応力向上研修 哲学五箇条
2025年版 (Version 2.0)
初版公開: 2025年11月1日
著者: 中島 康
東京医療減災Labo
©HDMG2004 2025
CC BY-NC-SA 4.0